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Remiくん - 和太鼓ドリーマー

   

プロフィール

Rémi Clemente は、スイス生まれの25歳。ジュネーヴで行われた和太鼓コンサートを見て以来、すっかり和太鼓のとりこになる。その後、日本で過ごした一年間、師匠である玉田菅生氏の率いる和太鼓チーム「響」で太鼓の手ほどきを受け、日本各地でのコンサートを経験する。

和太鼓チーム「響」は、1993年に、川崎市に発足された。和太鼓を愛する学生、社会人、計50名のメンバーで構成される。各地の祭やイベント、学校行事などで演奏するだけでなく、海外遠征も行っている。

2005年11月に、グランヴォー村で行われた「響」チームの写真は、こちら。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グランヴォー村でのコンサートの様子は
こちら。

 

インタビュー!



CSJ: 日本へ行ったのは、太鼓を学ぶためだけ?


R: そういうわけではないんです。もともとの目的は、自分の知らない、まったく新しい世界をみたい、ということでした。それで、日本人と一緒にいろんな活動に参加しながら、「日本語を勉強する」という名目で行ったわけです。

CSJ: 思い切って日本へ行った、具体的な動機は?

R: 新しい世界を見たいということのほかに、二つあります。
一つ目は、社会的責任を感じるようになってきたこと。当時、仕事もしていて、同時に大学生でもありました。付き合っている彼女もいて、いずれ自分も「パパ」と呼ばれる日がくるんだなぁということも感じはじめました。そこで、「今行かないと、もう一生行けない!」と思ったんです。
二つ目は、2年間警備員として働いて、お金が貯まっていたこと。

こうして、家族や友だちと、もう会えないかもしれない、くらいの覚悟を決めて、スイスにさよならを告げ、日本へ向かいました。



CSJ: 日本での生活はどうでしたか?

R: 最初の頃は、片田舎のおばあさんの家にホームステイしていました。しかし、あろうことか、3日後には、そこから追い出されてしまったのです・・・。幸い、ちょうど同じ頃日本にいた、ジュネーヴ大学の日本語の先生のはからいで、どうにか路頭に迷わずに住みました。

上京して、玉田師匠に出会い、すべてが始まりました。玉田氏は、友だちの紹介で、自分の家の近くに、僕の部屋を見つけてくれました。それだけではなく、全く想像もしていなかった、たくさんのことを見せてくれ、教えてくれました。今でも、とてもいい思い出です。

CSJ: 日本語は、行く前からできたんですか?

R: ジュネーヴ大学で、2年間、日本語の授業を受けました。でも、あまり真面目にやってなくて、授業は半分くらいしか出てなかったんです。日本へ行ったときの日本語のレベルは、よーく考えた後で、ゆっくりと短い文章が言えか言えないか、くらいのもので、「3時間」とか「500円」などの簡単な単語以外は、質問されても全く答えられないレベルでした。

CSJ: なぜ和太鼓?

R: 好きだから。それに、これが日本と自分をつなぐものだから、大事にしたい。太鼓を叩いていると、スイスにいる今でも、日本の友だちや風景、いろんな思い出が、鮮明に蘇ってきます。
太鼓は、僕の人生です・・・。

CSJ: 次なる夢は?

R: ある程度安定した職業に就くこと。それから、自分の和太鼓チームを鍛えていくこと。今、初心者でがんばっている教え子たちが上達するまでは、まだまだ時間がかかることでしょう。


和太鼓の歴史

和太鼓の歴史は長く、古くは、6世紀頃に作られた古墳から、太鼓を持った埴輪が発掘されています。当時は、外国との交流で、様々な楽器、音楽が日本にもたらされていました。5世紀から7世紀には、朝鮮半島から来た人が、音楽を奏でたという記録があります。また、752年に開かれた奈良・東大寺大仏開眼会には、アジア各地から音楽家が集まり、大演奏会が開かれました。

中世(13~16世紀)になると、物まね芸や、歌舞を演じる芸能が、有力な寺院の指示を受けて「能」に発達。そのお囃子用の太鼓も現在に通じるような形になってきました。江戸時代(1603~1868年)には、歌舞伎が庶民の間で大流行し、その伴奏音楽として、十数種類の太鼓が使用されています。また日本各地の民族芸能や祭礼でも、大小、様々な種類の太鼓が使われています。
そして近年では、祭囃子を土台に各種太鼓を組み合わせて演奏する太鼓グループが多く生まれ、全国各地で熱心な演奏活動を行っています。


 

インタビュー by Selsa